佐賀和光

引き継ぐ

今年の2月に後輩の建築家泉谷吉信くんが病気で亡くなりました。
彼とは30年近くの付き合いでアルバイトとしてうちの事務所に来てくれたのが最初の出会い。

中学時代から佐賀和光に憧れ建築家になることを夢見てそれを叶えた人物で、まっすぐな明るい性格からか周りには常に多くの人が集まりみんなを笑顔にするようなタイプの人でした。

病気が見つかってからはそれほど多く会うことはできませんでしたが、たまにLINEなどでやり取りをしたり共通の知り合いに病状を聞いたりしていました。

佐賀和光の自邸であるハレハレハウスの跡地に僕が住宅を設計し、昨年の12月に上棟した時、彼にどうしても見て欲しくて現場に来てもらい短い時間でしたが現場で少し話をしました。結局この日が彼と会う最後の日となりそのまま天国へ旅立ってしまうことに。

住宅の仕事というのはスパンが長く、建築家に何かがあったとき計画がまだ途中だったりすることがあります。

僕の師匠の佐賀和光が亡くなったときも数件の住宅が残され、それを必死になって完成させた思い出があります。

今回も同じように泉谷くんが残した建物をたまたま僕が引き継ぐことになり、上棟までこぎつくことが出来ました。
しかも季節は彼と最後に会った冬の12月。偶然にしては出来過ぎのような気もしています。

自分の師匠と後輩。
それほど長い期間ではなかったのですが、三人で楽しく仕事をしている時期があり、まさかその二人の仕事を引き継ぐことになるなんてその当時は思っても見ませんでした。

空の上では佐賀さんといっちゃんが見守ってくれていることだと思います。
とにかく最後まで気を抜かず、残された建物を完成させたいと思います。

 

『interplay of …』上棟しました

『interplay of …』上棟しました。

この建物の建っている場所は佐賀和光の自邸『晴れ晴れハウス』があった場所です。
ぼくがこの建物の設計している時、佐賀さんから譲り受けたBill EvansのInterplayというアルバムをなんども聴いていました。

Interplayという言葉には調和がとれているとかgive&take的な意味と響き合うなんていう意味もあるようです。二つ以上の何かが関係しあって上手く行っているというようなニュアンスでしょうか。

この建物が周りの環境、ここで暮らす人、ここを訪れる人などと上手く響き合い調和して欲しいという想いがあります。

また佐賀さんが大好きだったBill Evansのアルバムタイトルという事や佐賀さんに教わった事とそのあとに僕が身につけてきた事が響き合い新しい何かを生み出していければという想いからこの建物を『interplay of …』と名付けました。

上棟の日、全員が帰ったあと一人で現場に残り窓からの景色を眺めている時間はとても素敵な時間でした。
このあとも気を抜かず最後までしっかり監理をしていきたいと思います。

 

世田谷の家の家具

世田谷の家の一期工事が終わりました。

僕の建築の師匠の佐賀和光が設計した家に僕のデザインした家具を設置。
空間を壊す事なく出来たように思います。
これなら佐賀さんも褒めてくれるかな?(笑)

後日竣工写真も撮影する予定ですのでその時はまたお知らせいたします。

OZONEスタッフコラム(第一回)

新宿にあるリビングセンターOZONEは家づくりのサポートを行っている会社で20年以上の実績があります。

そちらのスタッフコラムでインタビューを受けました。
テーマは『建築家の設計した住宅を引き継ぐ』というもので全2回の予定です。
今回は佐賀和光の設計した建物を僕(高橋)がリフォームした建物のお話です。

ぜひご覧ください。

https://www.iedesign.ozone.co.jp/learn/article/hikitugu-vol1.html

『世田谷のいえ』始まります

今から20年以上前に僕の師匠の佐賀和光が設計した木造二階建の住宅。
この建物の引き渡しの数ヶ月後に佐賀は海で亡くなりました。

今回新しくこの家に住む方からご連絡をいただきメンテナンスとリノベーションのご相談を受けることとに。
以前に住んでいたクライアントさんもとても気に入ってくれていたようで竣工当時のままほとんど手をつけずに長年暮らしていたようです。

久しぶりに訪れたこの建物の中に入った瞬間とても懐かしい気持ちになりいろいろな感情が蘇ってきました。

今回新しくこの場所に住むご家族の方も明るく大らかな空間を気に入っていただけたようで元の形を出来るだけ残しながら自分たちの暮らしに合うようにほんの少しだけ手を入れることを希望しています。

住宅を出来るだけ長く住み繋いでいくのはいろいろな問題が絡みとても難しい時もありますが、今回はいい出会いによりこの建物はもうしばらく残されることになりそうです。

晴れ晴れハウス最後のオープンハウス

今から41年前の夏、藤沢市鵠沼に佐賀和光の自邸である〝晴れ晴れハウス〟が生まれました。それは「光と風」が感じられる湘南住宅の誕生でもありました。
松林の緑の中に真っ白で一際目立つ斬新なデザインでありながら、何処か懐かしい日本の風景を思い出させる佇まい…。
その住宅は建築の世界だけにとどまらず各方面でも話題となり佐賀和光が建築家として名を知らしめる作品となりました。
湘南の太陽から降り注ぐ光と海から吹き込む風が心地よく感じられる開放的なこの家のリビングには多くの人々が集い、日々賑やかな声が止むことはなく、建築家やデザイナー、サーフレジェンドなど、現在各方面で活躍する人材が育っています。
しかし多くの人々に愛された〝晴れ晴れハウス〟も老朽化により2021年1月末に解体されることとなりました。
つきましては解体前の1月24日(日曜日)12時より〝晴れ晴れハウス〟の最後のオープンハウスを開催することとなりました。お時間のある方はお立ち寄りください。
なお、緊急事態宣言下である現在、オープンハウス開催の可否についてはいろいろと検討をして参りましたが、この建物が多くの皆さんにとっても思い出のある場所と考え、開催することといたしました。
本来なら来ていただいた方々と昔話などをしながら懐かしむ時間にして頂きたいところではありますが、現在の社会情勢などを考慮し今回は見学や写真撮影などで留めて頂くことをお願い致します。

今年の佐賀和光の命日

8月6日は佐賀さんの命日

今年で21回目になります。

毎年この日は佐賀さんの自宅である晴れ晴れハウスに行き、色々な話をしながら食事をするのが恒例となっていました。

佐賀さんが亡くなってから毎年続いたいたので20年続いたことになります。特に誰に声をかけるではなく自然発生的にはじまった食事会。僕は毎年欠かさず晴れ晴れハウスに行きお酒を飲みながら色々な話をするのが楽しみでもありました。

生きているうちから自然と人が集まってくる人でしたが、それは亡くなってからも変わりません。

しかし今年はコロナの影響もあり食事会はやめようということに。

僕は夕方にそっとお線香をあげに行きその後、奥様の温子さんと娘さんの愛ちゃんとお茶を飲みながらゆっくり思い出話をしてきました。

佐賀さんの設計したリビングには気持ちの良い風が流れていて時間が戻ったようなちょっと不思議な感覚に。
話しているうちに色々なことを思い出しとてもいい時間を過ごすことができました。

手づくりマスク

ある日自宅のポストに郵便物が。

あれ?何だろう??

と封を開けてみると手づくりのマスクがたくさん。

僕の建築の師匠である佐賀和光の奥さん、温子さんからプレゼントでした。

こういう事が自然に出来るって優しい人だなと改めて思いました。

メンテナンス

25年ほど前の佐賀和光設計の住宅。

久しぶりにクライアントさんから連絡をいただきメンテナンスの相談に行ってきました。今でも大切に使っていただいていることがとても嬉しかったです。

建物の施工当時、佐賀さんと一緒に現場監理に行って帰りに現場近くの昔からある喫茶店でホットケーキを何度か食べた記憶があります。
僕もそうなのですが、佐賀さんも甘いものは好きなほうで、二人で現場現場や打ち合わせに行った帰りにドーナツやケーキなどを食べました。

当時行った喫茶店を探してみたのですが、今はもうなくなってしまったのか見つからなかったのが少し残念でした。

佐賀和光

今日8月6日は佐賀さんの20回目の命日です。早いものですね。

20年前のこの日もとても暑い日でした。

前日電話で打ち合わせをし最後にいつものようにくだらない冗談を言い合って電話を切った翌日、約束通り役所に確認申請の書類を提出しに行くと担当の方に自宅にすぐ連絡するようにと言われました。急いで連絡すると佐賀さんが病院に運ばれたと聞かされました。

急いで病院に駆けつけるともうすでに亡くなっていて遺体は地下に運ばれていました。サーフィンをしている最中に海で亡くなったとそのとき聞かされましたがあまりに急な話でうまく受け止めることができませんでした。

その後、事務所と佐賀さんの自宅「晴れ晴れハウス」を行ったり来たりしながらお別れ会の準備やいろいろな方への連絡をし、通常の設計事務所としての業務(現場監理や図面)などもこなし、しばらくはとても忙しい日々を過ごしました。

設計事務所の仕事はスパンが長く、佐賀さんが亡くなった時点で3件の仕事が残っていました。当時は残された仕事を最後まで完成させるために必死になり、その事で佐賀さんの死を受け入れずにいようとしている部分もあったのかもしれません。僕の知らないところで佐賀和光の建築について雑誌などを通じて話をしている人の記事などをみても変な違和感しか感じなかったのもそのせいなのでしょう。

もちろん20年も経った今ではいろいろなことを受け止め理解もできるようになりましたが。

ある時期からローカルアーキテクトとしての活動にシフトした(と僕自身間近で見ていてそう思っています)建築家佐賀和光の建築はもちろん、彼の人間としての魅力はとても大きななもので、実際に直接接したことのある人ならよく分かってもらえると思います。

そんな魅力的な人物なだけに自分も含め彼のように生きたいと思ってしまう人たちはたくさんいます。(まさにローカルヒーローですね)

しかし自分は模倣ではなく佐賀さんと一緒に過ごした時に教わったものを大切にしながらも自分らしい建築を作っていければと思っています。

なんだか取り留めもない文章になっていますね。まぁ、20年ということでご容赦ください。