今日8月6日は佐賀さんの20回目の命日です。早いものですね。

20年前のこの日もとても暑い日でした。

前日電話で打ち合わせをし最後にいつものようにくだらない冗談を言い合って電話を切った翌日、約束通り役所に確認申請の書類を提出しに行くと担当の方に自宅にすぐ連絡するようにと言われました。急いで連絡すると佐賀さんが病院に運ばれたと聞かされました。

急いで病院に駆けつけるともうすでに亡くなっていて遺体は地下に運ばれていました。サーフィンをしている最中に海で亡くなったとそのとき聞かされましたがあまりに急な話でうまく受け止めることができませんでした。

その後、事務所と佐賀さんの自宅「晴れ晴れハウス」を行ったり来たりしながらお別れ会の準備やいろいろな方への連絡をし、通常の設計事務所としての業務(現場監理や図面)などもこなし、しばらくはとても忙しい日々を過ごしました。

設計事務所の仕事はスパンが長く、佐賀さんが亡くなった時点で3件の仕事が残っていました。当時は残された仕事を最後まで完成させるために必死になり、その事で佐賀さんの死を受け入れずにいようとしている部分もあったのかもしれません。僕の知らないところで佐賀和光の建築について雑誌などを通じて話をしている人の記事などをみても変な違和感しか感じなかったのもそのせいなのでしょう。

もちろん20年も経った今ではいろいろなことを受け止め理解もできるようになりましたが。

ある時期からローカルアーキテクトとしての活動にシフトした(と僕自身間近で見ていてそう思っています)建築家佐賀和光の建築はもちろん、彼の人間としての魅力はとても大きななもので、実際に直接接したことのある人ならよく分かってもらえると思います。

そんな魅力的な人物なだけに自分も含め彼のように生きたいと思ってしまう人たちはたくさんいます。(まさにローカルヒーローですね)

しかし自分は模倣ではなく佐賀さんと一緒に過ごした時に教わったものを大切にしながらも自分らしい建築を作っていければと思っています。

なんだか取り留めもない文章になっていますね。まぁ、20年ということでご容赦ください。