光と風

日除け

毎日暑い日が続きます。
今年も自宅の吹き抜け部分に日除けの布を掛けました。
今年は例年よりちょっと遅めでしたが薄い布一枚でも室内の温度はかなり変わります。
毎日の暮らしを楽しむという意味で季節によって室内のしつらえを変えるということはとても有効だと思います。

今年の佐賀和光の命日

8月6日は佐賀さんの命日

今年で21回目になります。

毎年この日は佐賀さんの自宅である晴れ晴れハウスに行き、色々な話をしながら食事をするのが恒例となっていました。

佐賀さんが亡くなってから毎年続いたいたので20年続いたことになります。特に誰に声をかけるではなく自然発生的にはじまった食事会。僕は毎年欠かさず晴れ晴れハウスに行きお酒を飲みながら色々な話をするのが楽しみでもありました。

生きているうちから自然と人が集まってくる人でしたが、それは亡くなってからも変わりません。

しかし今年はコロナの影響もあり食事会はやめようということに。

僕は夕方にそっとお線香をあげに行きその後、奥様の温子さんと娘さんの愛ちゃんとお茶を飲みながらゆっくり思い出話をしてきました。

佐賀さんの設計したリビングには気持ちの良い風が流れていて時間が戻ったようなちょっと不思議な感覚に。
話しているうちに色々なことを思い出しとてもいい時間を過ごすことができました。

佐賀和光

今日8月6日は佐賀さんの20回目の命日です。早いものですね。

20年前のこの日もとても暑い日でした。

前日電話で打ち合わせをし最後にいつものようにくだらない冗談を言い合って電話を切った翌日、約束通り役所に確認申請の書類を提出しに行くと担当の方に自宅にすぐ連絡するようにと言われました。急いで連絡すると佐賀さんが病院に運ばれたと聞かされました。

急いで病院に駆けつけるともうすでに亡くなっていて遺体は地下に運ばれていました。サーフィンをしている最中に海で亡くなったとそのとき聞かされましたがあまりに急な話でうまく受け止めることができませんでした。

その後、事務所と佐賀さんの自宅「晴れ晴れハウス」を行ったり来たりしながらお別れ会の準備やいろいろな方への連絡をし、通常の設計事務所としての業務(現場監理や図面)などもこなし、しばらくはとても忙しい日々を過ごしました。

設計事務所の仕事はスパンが長く、佐賀さんが亡くなった時点で3件の仕事が残っていました。当時は残された仕事を最後まで完成させるために必死になり、その事で佐賀さんの死を受け入れずにいようとしている部分もあったのかもしれません。僕の知らないところで佐賀和光の建築について雑誌などを通じて話をしている人の記事などをみても変な違和感しか感じなかったのもそのせいなのでしょう。

もちろん20年も経った今ではいろいろなことを受け止め理解もできるようになりましたが。

ある時期からローカルアーキテクトとしての活動にシフトした(と僕自身間近で見ていてそう思っています)建築家佐賀和光の建築はもちろん、彼の人間としての魅力はとても大きななもので、実際に直接接したことのある人ならよく分かってもらえると思います。

そんな魅力的な人物なだけに自分も含め彼のように生きたいと思ってしまう人たちはたくさんいます。(まさにローカルヒーローですね)

しかし自分は模倣ではなく佐賀さんと一緒に過ごした時に教わったものを大切にしながらも自分らしい建築を作っていければと思っています。

なんだか取り留めもない文章になっていますね。まぁ、20年ということでご容赦ください。

風が通る家の工夫

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気持ちのいい家を作るにはいろいろなことに気を配ります。
敷地周りの環境、開放的でおおらかな空間、効率のよい家事動線、プライバシー、光の入り方、などなど。。。

風の通り方に関しても色々な工夫をしています。今回は簡単にできる効率のよい風の入れ方のお話です。

家の中に効率良く風を取り込むには入口と出口を作ってやることが大切です。こう書いてしまうと、当たり前のように感じますが部屋のかたちや配置によってはなかなかできないケースも出てきます。

例えば壁の二箇所に開口が取れる場合は問題ないのですが、一箇所にしか壁が取れない場はどうしても風の抜けが悪くなってしまいます。写真はそんな場合の解決方法の一つ。本来は普通の壁にするところを足元に室内窓をつけ風の通り道としています。これのより外部に面する窓から入ってきた風が室内窓を抜けていきますので、風の吹き抜ける室ができるというわけです。また、足元の窓ですので隣の部屋からの視線もあまり気になりません。
他にも色々な方法を使い効率のよい風の抜け方を考えながら設計していますので、またいつか別の方法もご紹介します。

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